社会医療法人生きる会
 瀬戸内海病院を受診してくださる患者さんの病気を診断したり、病気を癒したり、闘病を支えたり、不治の病の場合には、不自由な中にもより創造的生活を営んでいただけるよう、医師およびコメディカルである職員全員が協力を惜しまないつもりです。
そして、患者さんが「生きる」ことに謙虚にお力添えをすることが、私たちが職業人として「生きる」ことにつながる、という意味をも含めて、医療法人を「生きる」会と名付けました。
 黒澤明監督の映画「生きる」では、不治の病に冒された主人公が、「生きる」意味を悟り、創造的な生活を営むことを内心で誓ったと思えるシーンで、背景に若い健康的な女性たちが、偶然にも彼女たちの誕生会で、「Happy birthday to you!(お誕生日おめでとう!)」を合唱します。人が「生きる」ことの意味が、最も感動的に映像化されたシーンの一つだと思います。
  すみれ寮
 職員寮の名前である「すみれ」は、観賞用の花であり、薬草でもあります。花言葉は「慎み深さ」です。「SUMIRE」の中には「UMI(海)」も含まれていますし、「ばやく(素早く)、んなで(皆で)、んけいを(連携を)!」の意味も含まれています。
 なお、命名12年後に分かったことですが、「
すみれ」は、偶然にも、命名者の誕生花(1月9日)でした。
  シンボルマーク
瀬戸内海病院の英語訳Seto Inland Sea Hospital の頭文字、「SIS」を図案化しました。
 中央のIは、今治(Imabari)の頭文字と医療(Iatreusis)の頭文字とのIを意味する他に、アスクレピオスの杖を意味しています。
医師の神様ともあがめられる古代ギリシアのアスクレピオスは死者を生き返らせることもできると言われたほどのすぐれた治療師で、ギリシア人やローマ人から崇拝され、彼のヘビが巻いた杖は今でも医療の象徴とされています。
 また、図案の中のIに巻いた2つのSの重なりは、医療の協力を表現しています。
中央の円い輪は、瀬戸内海病院の全職員の和を示し、医師とともに、渾然一体となって医療( Iatreusis )に奉仕( Service )する姿を象徴しています。
  

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  瀬戸内海病院広報誌「ビオス」
 ビオスとはギリシア語で「生命」を意味します。「この私」や窓の外の雀や病室の百合の花に実現されている「生命」です。
瀬戸内海病院が医療法人「生きる会」と改組したのが、1995年12月、この年の10月10日に哲学書房の季刊誌「ビオス」が創刊されました。何かの因縁と思って瀬戸内海病院の広報誌を「ビオス」と名付けました。
 その雑誌の「創刊のことば」の一部を次に引用します。
『生きるもの』は全て、おのずから生じ、みずからを形づくる。『生きているもの』を生きものたらしめているおおもとの力、『生命』とはいったい何か。 『この私』はもとより、生きとし生けるものを貫いて『生命』はある。古代ギリシアの思索する人々が考えたように、それはこの世界にあって運動するものの全て、宇宙そのものといってもいいかもしれない。『私が生きる』とは、なにごとかを試すこと、美を感じること、死を思うこと、『無限』に触れることと結ばれており、なによりも『この私とは何か』を問うことにほかならない。生きているものは全て、死をまぬがれ得ない。死もまた生命の営みのひとつであり、生命は死を養うのである。ところで、ひとつひとつの生きているものの死を超えて、『生命』は、あの宇宙そのものである『生命』は、決して死ぬことではない。この、いわば『根源的生命』は、生き、芽ぶき、生成するという意味を帯びていた『自然』といいかえることもできよう。それはひとつひとつの死すべき生きものにとっては『絶対の無』でもあったのである。
  瀬戸内海病院
 当院が発足した昭和52年は、瀬戸内海三橋時代の到来が約束され始めた頃です。今治港湾ビルには今治港に向けて、「かけよう瀬戸内海大橋」の広告が掲げてありました。共同経営者の小堀院長と徳永副院長の郷里は、二人とも福山市であり、この地今治市とを結ぶ線が、ほぼ瀬戸内海の真ん中に位置するということもあり、沿岸で育った私たちには特別愛着のある「瀬戸内海」を病院名とすることにしました。

 当初は「瀬戸内」病院という案もありましたが、オパーリンの著書「生命の起源」によると、原始海洋中に最初の生物が生じたということなので、命の母としての「海」を病院名に含めることに拘った結果、現在の名称となりました。